2018年11月1日 更新
全12回を数える本歩く会の催行もあと2回を残すのみとなった。去る10月10日(水)JR八高線松久駅前には、上つ道の完全歩行に意欲を燃やす面々37名が集結した。
歩行時間の確保のため、恒例のストレッチも割愛して、先月見学訪問した遺跡の森館まで一度通った道を戻り、そこから40分ほど歩いて国道254近くの甕甕(みか)神社に至る。境内に居た神主夫人の話では、創始は不明だが後醍醐天皇の昔に遡る由緒ある神社で、明治までは毎年秋の例祭に新米で濁酒二甕を造って神前に供え、残りは氏子・信徒に分与したとのことだが、今はその面影はない。
さらに進んで、広木の一里塚跡から陣街道に入って西に進み、左右に古墳跡や乳業工場などを見ながら小山川を十二天橋で渡り、龍體稲荷を経て正午前に昼食場所「なかまち」に到着した。店内はほぼ貸し切り状態だったが、大人数の故もあって全員の食事完了まで時間が掛かり、予定の競進社模範蚕室の見学はやや不十分に終わった。
1時半過ぎに午後の歩行を開始し、八高線児玉駅近くで踏切を渡り北西に歩を進める。1時間足らずで塙保己一旧宅とその墓石のある龍清寺に達する。偉大な国学者の生まれ育った茅葺の民家がまだ健在で、そこにまだ人が住んでいるというのも驚きだ。隣接して、保己一没後100年を記念する渋沢栄一の揮毫による石碑もある。ここからは、のどかな田園地帯を歩いて、まずは小憩予定の神川町役場を目指す。道すがら、赤く熟した烏瓜や広大な蒟蒻畑、天空には群れ為す椋鳥が疲れた身の目を癒してくれる。
役場で最後の休憩後、一部はこれから先をカットして最終地丹荘駅に向けて本隊と別れ、一行はひたすら嘗ての神流川の渡河地点を目指してもうひと踏ん張りする。やがて神流川の土手上から渡しの跡を遠望し、折から暮れなずむ田園の中を歩いて丹荘駅に到達、淡青旗の引継ぎを終えたのは4:30を回っていた
次回は11月13日~14日にかけて、JR群馬藤岡駅から高崎城址までを二日間で歩く予定の本会最後の催行である。